1、地域づくりはヨイショから

【解題】この頃、地域づくりの原点は、「メシとオカズ」だといい続けていた。そのキッカケは、兵庫県庁から県北部(但馬)の、工業団地開発事業の企画をやらせていただいたことである。「但馬の国」は私の故郷であり、高校を出て20歳まで暮らしたところである。調査をし、計画を進めながら、但馬の土地柄について勉強しなおしたいと思った。

その結果書いたのが「但馬のメシとオカズ」という文章だった(昭和50年=1975年)。そこで言いたかったことは、今後の地域づくりは、ハードな道路や団地開発だけでは成功しない、文化についても企画をした地域づくりが必要だ、という考え方だった。つまり「メシ」だけでなく「オカズ」も大切な時代になっている、と考え始めていた。この小冊子は評判がよく、増し刷りをしていた。このコンセプトは、事務所の中でもよく議論になっていた。

ある朝、私が大阪事務所に出勤したら、「糸乘さん、あのメシとオカズがマンガになっていますよ」と、F君が声をかけてきた。それで見せてくれたのが「週刊アクション」1984.10.10という漫画雑誌だった。そこに「オカズがないと戦ができん」という4コマ漫画が出ていた。それはこの雑文の8ページ目ぐらいに転載している。

この、いしいひさいちの4コマ漫画だけでも見ていただきたい。「メシとオカズ」というカテゴリーについて、私以上にうまくとらえている。 続きを読む «1、地域づくりはヨイショから»

1、立み屋で焼酎に「色を付けてくれ」と云った

「色をつけてくれ、色を!!」という声がした。カウンターに腰掛け、ゲソ天で冷や酒を勿体なさそうに飲んでいる私の頭の後からである。と同時に手が伸びてきて10円玉2個、ついで五円玉がチャリンとカウンターで音を立てた。 続きを読む «1、立み屋で焼酎に「色を付けてくれ」と云った»

2、千年家の“法燈”と、独鈷寺の“独鈷・鏡”(福岡県新宮町)

千年家(横大路家住宅)には、千年以上昔から灯し続けられている“法燈”があるということは聞いていた。そして10年前に一度訪ねているが、それを見せていただいたのは今回が初めてであった。

実は10年前、「横大路家は気むずかしいから」という人がいて、千年家の家の前で立ち止まり、逡巡して様子を見たりしながらあきらめてしまった。そんなわけで独鈷寺だけ訪ねたのであった。独鈷寺には、伝教大師(最澄)が中国留学時に持ち帰った“独鈷”があり、ご住職から古い話を聞きながら、独鈷を手に取らせて見せていただいた。 続きを読む «2、千年家の“法燈”と、独鈷寺の“独鈷・鏡”(福岡県新宮町)»

3、巨大古墳を空から見る会顛末記 

■セスナは春風に乗って

「やみつきになりそうやなあ…」これは巨大古墳をみたことだけではなく、セスナに乗ってみた臨場感に満足した人の言。「こわいことないですか。落ちそうなことないですか。」…これは2巡目のセスナに乗る人の言。 30人全員が乗り終るには、1機に1度に乗れるのが3人(操縦士も入れて4人)であるから、4機のセスナで2巡半かかった。とにかく雲一つない好転にめぐまれて、全員満足そうな顔つきで終わった。 続きを読む «3、巨大古墳を空から見る会顛末記 »

1、オチコボレとは

「オチコボレとして生きていこう」と、思い定めたらずいぶんいい気分になった。この気分でいると、リスクはなくなる。世の仕組みのルールに合わせなくとも、世間のモラルをひどく裏切らないかぎり、自由に生きていけばいい。
「オチコボレとして生きる」とは、自分のモチベーションを、常に行動の基準として生きればよいことになる。
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4、「糸乘さんは、勝手にやっているんですね」と彼女は言った

彼女が「よかネット」に就職したのは1996年のことだ。この年は熊本の方から二人の美女がやってきた。二人ともよく仕事ができる方で、有望だと思っていた。だから、この話は97年頃のことだろう。朝出勤して机に座った途端、「イトノリサン!」と部屋中に聞こえるぐらいの声をかけながら、えらい勢いで美女が近づいてきた。私の前に立つと「イトノリサンハ、カッテニヤッテイルンデスネ」と少し詰問調で言った。

ちょっとビックリはしたが、すぐに察しはついた。彼女は、イトノリの仕事の仕方は、学校で教えられたような純粋な研究方法ではなく、自分勝手な仮説を前提にしていることに気付いたのである。私にしてみれば、あれこれ言わずに、仕事の中で彼女が「仮説」を持って仕事をするということに気付いたことが嬉しい。 続きを読む «4、「糸乘さんは、勝手にやっているんですね」と彼女は言った»

2、オチコボレの定義

新しい年は、オチコボレが元気を取り戻す年      071214 どこテレ新年用

オチコボレでも人もうけはできる

 

1、オチコボレの定義

*レールに乗れていないひとのこと。レールがないので自分

で歩かねばならん

*同じレールの仲間はいない。仲間がほしければ自分でつくる。従って、誰かが運んでくれるとか、後押してくれることはない

 

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4 私のオチコボレ人生のスタート

“オチコボレでやっていくぞ”という居直りの節目

・すべて、偶然に道が開けていく

・1962~65頃 倒産会社の再建に関わる。行くところのない人間だけ残って、かな

りのスピードで再建でき、以前より楽しい職場になった。結局人間

は「ダメ人間と見られていても、その気になったら3~4倍の働きを

することなど簡単だ」という体験。 続きを読む «4 私のオチコボレ人生のスタート»